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Summary of Thinking and Knowledge

携帯電話の販売で起業!伸び盛りの商いを進めていて恐怖を感じた瞬間

雑記

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仕事が終わって家に帰ると嫁と子供たちがいる。私はいつも家へ帰るのが楽しみだ。今日は子供たちに何の話をしてやろうかと考えながら、自宅近くのコンビニで缶ビールを買って飲みながらボチボチと家へ帰る。実に平和だ。


今と違い携帯電話を死に物狂いで販売していた20年程前は、こんな普通の生活ができるとは夢にも思っていなかった。


携帯電話の販売で起業した当時は今から思えばマーケティングの「マ」の字も知らない世間知らず。それでも飯が食えたのは、特別な営業知識なんてなくてもチラシを新聞折込するだけで売れたからに他ならない。


ITバブル期はけっこう派手に遊んでいて、BMWの7シリーズをブイブイ乗り回していた。ほんと、仕事しているのか遊んでいるのか分からない状態。今から思えばチンピラみたいな働きぶりだった。


金曜の夜は仕事が終わってから同業の社長連中と北新地へ行って酒を飲むのが馬鹿げた習慣。北新地なんかに行かないでせっせと貯金していれば、家がもう一軒建ったんじゃないかと今更ながら後悔している。


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伸び盛りの商いを進めていて恐怖を感じた瞬間

危ない人との出会い

携帯電話販売の仕事をしているとけっこう危ない人との繋がりができたりして、ほんと毎日がサバイバル。この商品売ってくれるなら、ケータイのお客さんを30人紹介しますよ、みたいなバーター的な話もたくさんありました。


私は月々の使用料の未納を恐れてそういった類のバーター取引はしませんでしたが、ほんと、彼らとの関わりで営業的にかなり鍛え上げられました。


ホテルのロビーに呼び出されて、私一人で向こうは3人。もう本当に怖かったのを覚えています。笑顔や指の使い方や股の広げ方など、とにかくすべてが怖いんです。


朝会っても、昼会っても、夜会っても24時間同じ、だから彼らは怖いんです。ホンマもんなのです。なので今では少々のクレームなんて「への河童」です。もちろん現在に至っては彼らとの関わりは一切ありませんが、当時のことは今でも鮮明に覚えています。


そのおかげと言っては何ですが、クレーム処理の時は自分の中にちょっとしたスイッチがあって、そのスイッチを入れると理不尽なクレームに対しても逃げ腰には決してならず、立ち向かうことができるようになったのです。

大きな会社組織に対する恐怖

実は携帯電話の販売も少し落ち着いてきたころにもっと怖い話があります。それは、うちの会社の従業員が5人を超え少し落ち着いてきた頃に起こりました。


それは大きな会社組織に対する恐怖です。


ちょっとした事の成り行きで、日本の7大商社の一つI商事株式会社の総務の方との出会いがあったのです。出会いと言っても大したことはなく、そのお方の奥様に関西セルラー(現au)を販売したのです。


そのお方とはけっこう話が合い、プライベートでお食事に誘われることも多々ありました。その後、私は新機種が出るたびにI社へ足を運ぶようになり、足を運ぶと言っても15分程度で、アイスコーヒーを飲みながらバカ話をして帰る感じでした。


ある時、「うちのシステム開発の人間と話す時間がある?」とお声を掛けてくださいました。私はもちろん「ありますよ!」と即答しました。


その話とは・・・


I商事株式会社の子会社(システム開発の会社、現在一部上場)のクライアントへ向けたモバイル端末の販売。I社の子会社と当時のDDIポケットと弊社とのジョイントベンチャーです。


当時うちの会社はDDIポケットの一次代理店でしたから、私どもの役割としてはデータ通信端末をDDIポケットから仕入れ、白ロム機に電話番号の他さまざまな情報の書き込みを行い、開通させてI社の子会社のクライアントに納品するといったものでした。


幾度となく3社でプロフィットシェアについてのミーティングを行いました。これは30代そこそこの私にとっては本当に大きな経験でした。一部上場企業と同じテーブルで商いできるのですから、利益なんて度外視しても得るものの方が大きかったのです。


まあ、当初はウキウキでしたが、ものすごい困難に直面します。それはI社の子会社からの発注台数です。なんと300台でした。300台って、一端末の仕入れ価格は確か25,000円。ということは750万円程度の資金が必要と言うことになります。当時私は北新地で遊びまわっていましたので手元のキャッシュは500万円程度。全部使うわけにはいかないので、最低でも300万円用意する必要があったのです。


資金繰りに対する恐怖

一口に500万円と言ってもそうカンタンなことではありません。金融機関からの借入は全く考えていなかったので、とにかく自力でキャッシュを用意することになります。そこで私が何をしたかと言うと、愛車BMWの売却です。当時の私にとってBMWを手放すことは本当につらいことでした。北新地で一緒に遊んでいた同業の社長連中はみんなベンツとかポルシェとかフェラーリに乗ってましたからね。


これを機に同業の社長連中との夜遊びもやめました。


車を売却し、なんとか仕入れ代金も確保でき、I社の子会社にも、そのクライアント様にも、そしてDDIポケットさんにもご迷惑をかけることはなかったのです。


納期に対しての恐怖

当時は大口と言っても20台、30台が普通でしたから、その10倍の注文には度肝を抜かれました。特に納期の厳しさに対しかなり恐怖を感じていたのは事実です。関わる人が多いと、一つミスをすると多くの人にご迷惑をかけてしまいます。


今でも商いを続けていれる理由

私は起業して20年以上経ちますが、もっともっと怖い話はたくさんあります。ただ言えるのは、こういった類の経験が今の仕事に生かされているということです。


ざっくり3つあげると・・・

  1. お金の使い方や資金繰り
  2. 大手企業との接点の作り方
  3. クレーム処理


といったとこでしょうか。



おわりに

起業して3年、5年、10年と、まじめに商いを続けていると経営者は知らず知らずのうちに多くの問題を短時間で処理できる能力が身についてくるものです。また、成長の過程でこれまで経験したことのない異種の困難に直面することもあります。それはある意味、成長している証しだといえるかもしれません。


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